羽生結弦選手が挑戦する 映画「陰陽師」和の世界とは?

こんな記事も読まれています
こんな記事も読まれています
スポンサーリンク

今、世界の舞台でなぜ「和」を表現するのか?

羽生結弦選手が、今シーズン選んだ曲は、映画「陰陽師」のテーマ曲。

採点競技でもあるフィギュアスケートで、外国人に伝わりづらいテーマというのは不利にもなってしまう要素。

それでもあえて選んだ「和の世界」を表現するという試み。そこには、いったいどんな意図が含まれているのでしょうか。

それをひも解くためにも、まずは2001年公開の映画「陰陽師」の世界をご紹介します。

羽生結弦選手も挑戦する映画「陰陽師」の和の世界とは

Amazon映画「陰陽師」

カリスマ陰陽師 安倍晴明を描いた映画「陰陽師」

平安時代、天皇の宮廷に遣える貴族たちは、鬼やまやかし、魔物という存在を異常なほどに恐れ、忌み嫌っていた。

そんな中、ある貴族の邸の庭先の松の木に、大きな瓜の実がなるという凶事が発生する。邸の主人に頼まれたお人よしの宮中人、源博雅(伊藤英明)は、評判のカリスマ陰陽師安倍晴明(野村萬斎)を呼びに行くはめになってしまう。

見事、瓜の実にかかった「呪(しゅ)」を解いた安倍晴明は、源博雅の純粋な心に惹かれ、親しみを覚える。博雅もまた、晴明に興味を覚え、はみ出し者の二人は友情を深めていく。

しかし、陰陽頭の道尊(真田広之)は、鬼や魔物を操り、密かに都を乗ろうと画策していた・・・

「呪」とは、物や事柄を縛るもの。悪意を持って人に「呪」をかければ、それは呪いとなり災いを及ぼすものとなります。

安倍晴明は、この「呪」を巧みに操り、式神や人を動かす呪術に長けていたことで、カリスマ陰陽師として名声を得ていくことになります。

晴明を演じるのは、狂言師でもある野村萬斎。狂言で培った美しい所作や、型を意識した動きで「呪」を唱える姿は、本当に効き目がありそうなほどリアル。まさにカリスマ陰陽師といった風格もあり、観ていて違和感なく物語に引き込まれていきます。

人は、心の持ち方ひとつで、鬼にも仏にもなる

出世、結婚、恋愛、など、嫉妬や、恨み、妬みなどの渦巻く宮中ですが、それは、現代人の私たちにも同じこと。あまりに強く人を恨みつづけると、「美しい姫でもいつしか鬼と化してしまう」という現象は、日本人であれば、感覚として理解できるもの。

心を人に留めるか、鬼と化すまで暴走するかは、自分の精神鍛錬次第ということでしょうか。

精神性や神秘性の世界を理解する土壌は、日本人のDNAとして現代人である私たちにも、組み込まれているのかもしれません。

日本人の多くは、子供の頃、「人を恨んではいけない」という言葉を大人から聞かされて育ってきたことと思います。他にも「人には親切にしよう」とか「目上の人を大切にしよう」といった、他人に対する丁寧な接し方を、しつけられて育ってきました。

このような正しい倫理観や精神性を大切にする日本特有の文化が、和の世界の特徴と言えるでしょう。

ところが、大人になり社会に出ると、いきなり西洋に影響を受けた現代の競争社会に参加することになります。社会の中では、「人より上に行きたい」「人より良い待遇を受けたい」と欲望の塊となっていく私たち。

競争社会で夢を追って頑張ることは、よいことです。しかし、それ以上に、欲望の塊のような人間になってしまうことを、子供の頃の自分が望んでいたでしょうか?

映画「陰陽師」の中でも、一番強い存在なのは、悪でも鬼でもなく、源博雅の邪心のない純粋な心そのものなのです。

羽生結弦選手が「陰陽師」に挑戦する理由

金メダリストの羽生結弦選手が戦う舞台は世界。そこで、あえて「和の力強さ、繊細さを表現する」ことに挑戦するとのこと。

トップアスリートとして世界で戦い続けるためには、技術力を磨くことはもちろんですが、メンタルを強化するということが重要なポイント。

勝負に挑むときの心の持ち方次第で、成功もすれば失敗をすることもあり、その心の持ち様が、結果として目に見えてしまうことが、アスリートの宿命なのです。

精神世界の重要性を描いた映画「陰陽師」の世界感を、羽生選手が、自分を成長させるために重要だと感じたとしても納得がいくところです。

安倍晴明の「心の持ち方次第で鬼にも仏にもなる」というセリフは、羽生選手のようなトップアスリートだけにではなく、私たちの日常にも生かせる言葉です。

「心の持ち方次第で、幸せにも不幸にもなる」ということ忘れずに、日々過ごしていきたいもの。

時には、自分たちのDNAに組み込まれているであろう「和」の世界というものを思い出し、それを良い方向に活用していくことは大切なこと。

羽生選手が興味を持った「和」の世界を堪能できる映画「陰陽師」。

この機会に、チェックしてみてはいかがですか?